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60年代和風モダンロビー 京都商工会議所
引き続き京都の1960年代建築を追っていきましょう。
1964年(昭和39年)竣工の京都商工会議所ビル。ファサードは数年前にリニューアルされています。黒いステンレスの格子は京町家をイメージしているのだそうです。
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元はどんなだったかとういうと、烏丸通りの1本西の通りに面した建物の裏側にその雰囲気を見ることができます。コンクリート製の手すりは橋の欄干のイメージです。この時代のモダニズム建築らしく、和風のパターンをデザイン化して取り入れているところが素敵です。
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この建物、外観だけではそんなに感動するような仕掛けがないのですが、中に入って驚いてください。この、ガラス扉の重厚な陶器の取っ手。きっと清水とかで焼いたものなんでしょう。こういう民芸風のテイストもこの時代ならではです。
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圧巻は1階のロビーです。吹き抜けになった2階の天井から下がる、ちょっと50年代アトミック風味の照明オブジェ。個人的にものすごく好き。中庭の枯山水もデザイン化されたものです。
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壁の照明もモダンなエレガントさがあります。2階の廊下の手すり部分のデザインもすばらしい。
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実は、床には十二支をデザインしたモザイクもあるんですが、ソファで隠れているのが惜しまれます。
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個人的にはとてもツボな和風モダンデザインなんですが、このロビーと中庭も改装するとかなんとかいう話もあったようです。ぜひとも、ここだけはそのままにして欲しい。
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■中京区 烏丸通夷川上ル 京都商工会議所
■1964年
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by radionova2 | 2006-10-29 23:29 | 公共行政
旧・北國銀行京都支店(Tearaimizu-cho Place)でイベント
煉瓦作りの近代建築群で有名な三条通から2筋南、烏丸通蛸薬師にある北國銀行京都支店は、東京駅の設計を手がけた辰野金吾による美しい建物です。

実はこの名建築。しばらく前に北國銀行が撤退してから空きビルになっていて、その後が気にかかる存在だったのです。それが今日通りかかったら、京都造形芸術大学や地元のFM局などが主催するアートイベント(ARTBEAT KYOTO 2006)が開催されていました。Tearaimizu-cho Place って、いつのまにw。そんなの知らなかった!
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検索してやっと見つけた公式サイトを見ると
http://www.artzone.jp/artbeat/
http://fm-kyoto.jp/others/artbeat_kyoto2006/

この建物をフルに利用して、この土日にかけていろんなイベントが開催されていたようです。沖野くんとか東京の人気に比べて地元の引きはイマイチだろうに。とか思いつつ、こうしてスポット活用だとしても、この建物への注目が高まるような利用がされていることは素晴らしいと思いました。中を覗いてくる時間がなかったのが残念ですが。

協力に長谷ビルとありますが、ここは長谷ビルさんの物件なんでしょうか。だとしたら、いきなり壊して元の存在と何の関連もないマンションになるということは無いでしょうね。

追記:調べたら長谷ビルさんのサイトにこの建物の活用プロジェクトのページがありました。どのような文化的に意義ある活用をされるのか楽しみですね。
http://www.hase-building.co.jp/projects/tearaimizucho/index.html

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■旧・北國銀行京都支店 Tearaimizu-cho Place
■中京区烏丸通蛸薬師下ル手洗水町239
■大正5年 鉄筋コンクリート造2 辰野片岡建築事務所
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by radionova2 | 2006-10-22 15:12 | 公共行政
廃墟になる自由2 旧・堀川仏光寺郵便局
前エントリの続きです。こちらは廃墟というべきではないかもしれませんが、この建物のとなり、堀川通りに面して新しい郵便局の建物が出来てから長らく放置されていた旧局舎です。
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実際は倉庫などに使われていたのかもしれませんが、見た目は手入れもせず放ったらかし状態が続いていたので、この味のある建物はいずれは消えるのだろうと思っていました。

少し前に何か工事が始まる様子で、いよいよかなと気になっていたのですが…
実は、屋根の葺き替え工事だったようです。メンテナンスされて、この姿をとどめたまままま使うといことなのでしょうか。よかった。
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■下京区 旧・堀川仏光寺郵便局
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by radionova2 | 2006-10-15 22:18 | 公共行政
廃墟になる自由1 元・京都社会福祉協会
古い建物について、性急に開発か保存かという決着を付けずに放置しておくという選択肢もあるのではないかという話は、前のエントリで紹介した船場建築祭で印象に残る刺激的なテーマでした。

ここにも、廃墟というモラトリアムを与えられた近代建築があります。1936年(昭和11年)築の京都社会福祉協会です。

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ほぼ向かい側にあった春陽堂本社(1924年(大正13年)武田五一設計)が、マンション開発のためにあっという間に消えてしまったのを目にすると、丸太町通りに面したまとまった土地をこうして長らく放置しておけるのは、公共の持ち物だからこそではあるのですが、使われず放置されている姿も痛々しいのは確かです。

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これだけ枯れ果てた建物が再利用されるのかどうかはちょっとわかりませんが、こうやって物好きな人間が眺めることができるだけでも、何かの意義があるかもしれません。

■丸太町通智恵光院西入ル 元・京都社会福祉協会(内職補導センター本館)
■1936年(昭和11年) 鉄筋コンクリート造
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by radionova2 | 2006-10-15 21:37 | 教育福祉
船場建築祭

ずっと昔、中之島のダイビルに惚れてそこにある会社で働いていたことがあります。
近年、このダイビルをはじめ大阪の近代建築の再活用が(細々とした活動ながら)活性化しつつあるようでちょっとうれしいです。

そんなムーブメントのひとつ、大阪市立大学によるイベント、船場建築祭のシンポジウムに行ってきました。非常に示唆に富んだ内容だったので、忘れないうちにメモを残しておきます。

話のストーリーとしては…

街を歩いて「このビルかっこいい!」と気付く
 ↓
そういうビルに魅せられた人たちがショップをやったり、
イベントをやったり
 ↓
建物の魅力がどんどん伝わっていく
 ↓
そうすれば、ビルの関係者も下手なことがやりにくい。
建て替えるにしても、それなりの価値のあるものを
作ってくれるんじゃないだろうか。
 ↓
街も栄える。ウマー!
 ↓
以下繰り返し

ということを提案されていて(こんなに軽くないですよ)、最後の結論としては
「大事な建物は"使い倒して"街を変えよう」ということのようでした。


内容は、大大阪をめぐる資料や著作といえばこの方、大阪市立大学の橋爪紳也さんと、1920年代をテーマにした著作で著名な海野弘さんの対談。海野さんの大阪の近代建築をめぐる著作『モダンシティふたたび』からちょうど20年ということです。(この本は大阪産経新聞夕刊の連載企画だったそうです)

そして、都市計画が専門の東京大学助手中島直人さん、東北大学助教授の五十嵐太郎さん、ダイビルでさまざまな仕掛けをしておられるアートアンドクラフト代表の中谷ノボルさん、graf代表のデザイナー・アーティストの服部滋樹さん、『東京建築散歩』など、市民の目で建築とのかかわりをとらえるライターの矢部智子さんによるパネルディスカッション。船場建築祭で開催されているアートイベントの紹介など。

以下、気になった発言をまとめます。ちょっと意訳ありです。誰のお話だったか定かでないもの、間違っているものもあると思います。自分用メモ。


■モダニズム建築から読み取るものは郷愁ではない

海野先生の話から。
1920~30年代というのは世界が同時多発的に新しい方向に動きはじめた画期的な時代。パリの20年代、NYの20年代があるように、同じような新しい精神が東京の20年代、大阪の20年代にもあった。この時代、日本もヨーロッパやアメリカと同時に動き始めた。それを感じることができるのが当時の近代建築である。

例えば、ガスビルは、黒い甍の町家の家並の中に出現した、新しい時代へいざなう巨大な白い客船。当時の人々はどんなに驚いたか。そういう、とんでもないものを生み出した時代の精神、こころざしを読み取って、今の時代の新しい力にしていくということが、近代建築との関わりにおけるテーマのひとつ。


■都市の出現によって街との絆を発見する

大大阪という日本最大の都市が形成され、大通りが出来ることによってその裏通り、路地というものがもうひとつ見えてくる。都市の二重化。路地は古びて滅んでいくようで、そこにこそ、ベンヤミンのパッサージュ論的都市論が立ち上がる。路地には郷愁だけでなく、都市計画から抜け落ちた新しい発見がある。都市、建築、文学、風俗、さまざまなジャンルの枠を外した新しい都市論。

ベンヤミンの言う遊歩者(フラヌール)の出現。それこそ「心ブラ(心斎橋)」「平ブラ(平野町)」。盛り場をブラブラ歩くことで街との絆を作っていくこと。それこそが都市と人との関係。
現代の建築家は、都市と人々の絆をどのように作っていくかを考える必要がある。


■見ることは歩くこと。都市の中へ入っていくこと

見るという字は、目に足がついている(本来は膝をついてよく見るという象形)。街を歩いて、近代建築を見てみることこそ大事。座ってモニタを見ているだけではビジュアルカルチャーにはなりえない。都市の中に入って歩き回っていくことで発見するものがある。

橋爪さん>それぞれの絆を見つけ出す試み、そのひとつが今回のアートプロジェクトとか。


■「続・近代建築」の創造的再認識が必要

中島さんの話
景観という概念が登場したのが1935年都市美協会による「大東京建築祭」。「雄大荘厳な建物が三々五々あるからといって美しいのではない…」町並みという視点の提示。

北船場の近代建築は点在している。実は昔から点在していた。町並みというわけではない。
しかし、街角に多くあるため景観のポイントとなっている。今は周りを取り巻くものが調和していないのが課題。

今の大阪市街地域は、タワーマンション建築ブーム。それらと近代建築の間には大変なギャップがある。その間をつなぐものとは?実は船場地域には戦後~1970年代の建物が多い。しかし価値を認められずに入居率が低く消え去るものも。それら「続・近代建築」(村野藤吾の森田ビル、輸出繊維会館など)が近代建築の点在を埋める可能性がある。

船場の町並みの時間的空間的連続性は、すぐれた続・近代建築の創造的再認識によって保たれるのでは?

>中谷さん
戦後の国鉄建築もいい。戦争終わってすぐに駅を作ろうという意気込みがすごい。時代は違っても近代建築の精神と通じるものがある。


■リノベーションとは使い勝手を変えていくこと

中谷さんの話から。
ダイビルを使っているけれど、空調などの設備を入れ替えれば、古い建物だからといってマイナス面はそんなにないのでは?木製の窓枠とか、屋上とか、今のビルにはないものもある。手入れをして使っていけば、古いビルの余命を少しでも長らえることは可能。

リノベーション、コンバージョンとはハード(建築そのもの)を変える事ではなく、新しく使い勝手を変える事。80年前には考えられていなかった用途に転用しながら使っていくことこそが、建物の寿命を延ばすこと。


■使い続けることで事業主にプレッシャーをかける

そうして使っていくことで、ユーザーは古い建物が好きになるし、皆の視線を建築に向けることもできる。近代建築、続・近代建築、最近の建築、という具合に。それが、設計者や事業主にプレッシャーをかけることにもなるはず。いざ建て替えるという場合にも「あの建物の後にどんなものが建つのか」という期待に応えなけばならなくなる。


■不便であるがゆえにアイデアが生まれる

服部さんの話から。
多くの公共建築はハードとソフトのバランスが悪く、プログラムが成長しない。そのため、時間の経過と共に建物の利用価値がなくなっていく。つまり、そういう建築は機能のためだけに建物がある。だから使うだけで終わってしまう。

機能性の低い不便な建物からは、不便ゆえアイデアが生まれてくる。不便を楽しむことによって楽しい生活が生まれてくることもある。


■ごくふつうの人が気軽に使えること

矢部さんの話から。
普通の人に「あの建築はいいね」といってもわかってもらえないが、「あのカフェは居心地いい」とかいうと同意してもらえる。外から見るだけだったり、立ち入り禁止の場所があったりするより、普通の人が気軽に訪れることができて、実用品のように使える建築であればすばらしい。

>橋爪さん
たとえば「洋館がステキ」という気持ちは専門家が忘れている感性。つい学術的な目で見てしまい、建物の居心地のよさとか存在感とかに気付かないのは反省すべき。建物は使われるためにあるもの。古いビルがレストランなどとして使われることで、建物の価値だけでなく、そういう資産を抱えている街の価値も上がる。


■リノベーションはトップダウンでなくても進行できる

五十嵐さんの話から。
すでに建物の形があるリノベーションの場合、使用者が自分のスキルを持って進めていくことができる。特にアートなど。新築のように、必ずしも専門家やお上によるトップダウンで進める必要がない。

この敷居の低さによって、周囲をまきこみながらプロジェクトを進めることもできる。カタリスト(触媒)としてのリノベーション。


■建築は未来への伝達装置

なぜ古い建物を残すのか。新築ではできない無数の時間の痕跡がコラージュされている。そのなつかしいという気持ちがさらに人々をひきつける。そうして使われていくことでさらにその魅力は継続して蓄積していく。

建築技術は常に更新されるが、建築はその時点の技術の固有性が残っていく。建築とは、過去の反復ではなく、そのときの最先端であるべき。近代建築には、そのときに刻まれた未来が残されている。それを今見れることも重要。建築は未来への伝達装置。


■廃墟になる自由。ゆるく使うということ

オルセー美術館は、駅舎としての使命を終えてから、50年間使われない時期を経て美術館になった。古い建物について、開発か保存かという二元論で、使わないので更地にしてしまうというのではなしに、使わずそのまま放っておくという選択肢もありうるのではないか。廃墟になる自由。

また、1930年代のパリ万博の時のパビリオン、パレ・ド・トーキョーは、内装を剥がしただけで改装せず美術館として利用されている。それはそれで刺激的な空間。展示があるたび整えている。生きている廃墟。

大谷幸夫、空地の思想。ずっと先の使い道は分からない、初期の計画で全部決めるのではなく、空地のままにしておくという発想にも通じる。

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1920年代、世界同時最先端の痕跡である近代建築、そのありえないパワーを見て触れて理解して楽しめば、現在の街を作るパワーへとつながっていくのではないだろうか。そんな感じ。

個人的にとっても好きな60年代~70年台のモダニズム建築がこのように位置づけされているというのはちょっとうれしい。

追記:こちらのスタッフの方?のりみさんのブログには写真などもあわせて、会場の雰囲気などがよくわかるレポートをアップされています。トラックバックさせていただきました。
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by radionova2 | 2006-10-08 23:59 | Weblog
四条烏丸のモダニズム2 京都市営駐車場
前のエントリから続きます。(四条烏丸のモダニズム1 京都産業会館)
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四条室町の京都産業会館の裏側は市バスのターミナルになっています。さらにそのうしろにあるのがこの立体駐車場です。
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この建物、誰も気にしていないと思うのですが結構カッコイイんです。
京都の駐車場公社のサイトでは1960年開設とあるのですが、他の資料では産業会館と同じ1965年開業という情報もあります。一つ前のエントリで紹介したデジタルアーカイブにある昭和38年(1963年)のニュースで、四条烏丸に大規模な駐車場が計画されていると言っていますから、やはり昭和40年、1965年開業なのでしょう。また、調べてみたいと思います。
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子供の頃は、この天井の低い無機質なコンクリートの塊の中を通っていくのがなんともいえず楽しかったものです。外観は2種類のタイルが貼り分けられて、単純な駐車場という建物を美しく存在感のある造形に形造っています。

■下京区 市営四条烏丸駐車場
■1965年
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by radionova2 | 2006-10-01 21:43 | 公共行政
四条烏丸のモダニズム1 京都産業会館
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四条烏丸といえば重厚な銀行の建物が立ち並ぶ一角として知られていましたが、それも次々と改築が進んでいます。残るUFJ銀行(元三和銀行)もずっと柵に囲まれたまま、改築待ちという状況のようです。

そんな四条烏丸でなんといっても好きな建物が1965年(昭和40年)にオープンした京都産業会館とその背後に構える市営駐車場です。

京都の1960年代といえば、前川國男の京都会館(1960年開館)、山田守の京都タワー(1964年)、大谷幸夫の国立京都国際会館(1966年)と戦後の建築史を彩る名建築が生まれた時代。産業会館と市営駐車場にもその時代の勢いを感じることができるのではないでしょうか。

産業会館は近年改築されて、瓦の柄の入ったヘンなガラスの庇がついたためにクールな外観がちょっと損なわれたのが残念です。京都デジタルアーカイブに、オープン当時の産業会館の動画があります。建築当初はシンプルでカッコイイです。
京都デジタルアーカイブhttp://www.archives.astem.or.jp/
メニューの動画アーカイブに、昭和40年11月の「京都産業会館が完成する」というのがあります。ほかにも京都会館の建築風景なんかも興味深いです。ストリームじゃないのがイケてませんが。

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内部は階段を支える打放しコンクリートの構造なんかもクールです。当時の動画にも映っていた地下の通路はすべてタイル貼りになっているのですが、これがタイルというかきれいな陶板で、40年以上経った今でもピカピカで全く欠けがなくしっかりしています。当時は和装業界も勢いがよかったはずなので、いい素材を使っているのでしょうか。
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いずれにしても、建築的にはあまり注目されていない建物なのは残念です。

■下京区 京都産業会館
■1965年
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by radionova2 | 2006-10-01 21:28 | 公共行政