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どうなる?最上階付け足しビル 福井商店
忙しさにかまけて放ったらかしでしたが、ぼちぼち再開します。
千本通りの二条駅を少し北、以前紹介した木造工場のすぐ近くにある福井商店ビル。日本近代建築総覧によると、昭和10年(1935年)築、元は京都府購買販売組合連合会事務所ということで、京都府北部からの玄関口、二条駅の物流にかかわる建物だったようです。
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鉄筋コンクリート造4階建てと記述がありますが、よく見ると最上階は後から増築されているのがわかりますね。元は3階建て+塔屋ということでしょう。

実は、最近、入っている会社がすべて退去しているようなので、ちょっと気になって取り上げてみました。
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ここで紹介している写真は、かなり前に撮ったものなのですが、上の写真にある窓のサインなんかがすべて取り払われていて、玄関には移転先の案内があります。

サイドの丸窓の上に丸い跡がありますが、これはかなり以前に、窓の大きさに合わせた福助のマークが付いていたからなんですよ。
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最近、二条駅界隈は次々と開発が進んでいるので、このビルも今後どうなるのかが気になるところです。外装のスクラッチタイルや丸窓がいい味を出しているビルなので、壊してしまうのは惜しいと思うのですが。このまま引き続いて使われていくんでしょうか。
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■中京区
■昭和10年(1935年)築、鉄筋コンクリート造4階建
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by radionova2 | 2007-04-29 23:59 | 企業
旧・北國銀行は商業施設に flowing KARASUMA
以前話題にした旧・北國銀行のその後。年明けにニュースで見かけて、そのまま書く時期を逃していたのですが、最近の記事を見つけたのでアップしておきまます。
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この建物、結局長谷ビル自身の直営でflowing KARASUMA(フローイング・カラスマ)という商業施設になるようです。それにしても flowing て、流されていきそうなネーミングはどうなん?
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以前の日経の記事では、3月とありましたが最近の記事では4月にオープンとのこと。
どのように、この建物の魅力を生かしてくれるのか注目したいですね。

公式サイトはこちら

NIKEI NET:辰野金吾設計の銀行支店跡、3月下旬にも商業施設に
四条烏丸に複合商業施設「フローイングカラスマ」-4月開業
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by radionova2 | 2007-02-20 21:54 | 店舗
伊東忠太の獅子 祇園閣
先月、円山公園にある祇園閣が公開されていたので見てきました。1927年(昭和2年)竣工、伊東忠太設計の異形の近代建築です。

現在は、龍池山大雲院という寺院の持ち物になっていますが、元は日清・日露戦争で巨万の富を得て一代で大倉財閥を築いた大倉喜八郎の別荘内に展望台として建てられた楼閣です。

祇園祭の山鉾風の屋根、寺院建築風の木組を模したテラス部分、城郭の石組みというよりはシャボンの泡のかたまりをイメージさせる形の土台の部分(ここは階段室なだけ)。この建物は鉄筋コンクリート製なのでこれらの表象には機能は関係ありません。すべてデザインなんです。やっぱり伊東忠太、素敵すぎる。
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この不思議なデザインを引き締めているのが、塔を守る一対の獅子。これがまた伊東忠太らしい独特の存在感があってすばらしいのです。中は撮影できなかったので、この味のある獅子をしっかり押さえてきました。
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あえて獅子と書きましたが、神社の入り口なんかにいるのは、本来、"獅子狛犬"という一対で、角があるのが狛犬、無いほうが獅子という区別があるそうです(これは京都国立博物館の展示で覚えた!)。これは角がないので両方とも獅子ということになりますね。
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展望台の手すり部分などはピンク色のコンクリートが少し風化している部分もありましたが、あまり使われていない建物なのでしっかりしている感じでした。今回は最上階へは上がれなかったのですが、いつか機会があれば上も見てみたいものです。
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■東山区 祇園閣
■下層及び基礎:鉄筋コンクリート造、中層以上:鉄骨鉄筋コンクリート造 3階建、銅板葺
■1927年(昭和2年)築 伊東忠太設計
■登録有形文化財
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by radionova2 | 2006-12-18 02:48 | 文化財その他
修復?改築? 救世軍京都小隊
1935年(昭和10年)築、ヴォーリズ設計の救世軍京都小隊。ここは、クリスマスの時期、華やかさはないものの独特の味がある建物なので買い物のついでに見にいくと、なんと工事のバリケードやビニールシートが掛かっているではないですか。一瞬「取り壊しか!?」とビビリました。

よく見るとどうやら改装工事のようなので、明るい時間に様子をチェックしてきました。
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富小路通りに面して小さな窓があった壁面が豪快に切り開かれていて、裏側まで貫通していました。内部は木造のようです。耐震面なども課題があるのでしょうか。
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外壁だけ残して内部をそっくり作り変えてしてしまうのでしょうか。これまでは、あまり手をつけられていないゆえに怪しげに古びた味のある建物だったので、最終的にどういう状態になるのか気になるところです。
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扉には「工事をします」という旨の張り紙があるのですが、荷物の転送先の情報なんかが貼り重ねられていて、修復なのか改築なのか書いた部分の肝心なところがよくわかりませんw
元の雰囲気を損なわないよう改装されるといいんですが。また定期的にチェックしてみます。

■下京区四条富小路下ル 救世軍京都小隊
■1935年築 ヴォーリズ設計
■木造?
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by radionova2 | 2006-12-13 00:50 | 宗教施設
旧・北國銀行京都支店(Tearaimizu-cho Place)でイベント
煉瓦作りの近代建築群で有名な三条通から2筋南、烏丸通蛸薬師にある北國銀行京都支店は、東京駅の設計を手がけた辰野金吾による美しい建物です。

実はこの名建築。しばらく前に北國銀行が撤退してから空きビルになっていて、その後が気にかかる存在だったのです。それが今日通りかかったら、京都造形芸術大学や地元のFM局などが主催するアートイベント(ARTBEAT KYOTO 2006)が開催されていました。Tearaimizu-cho Place って、いつのまにw。そんなの知らなかった!
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検索してやっと見つけた公式サイトを見ると
http://www.artzone.jp/artbeat/
http://fm-kyoto.jp/others/artbeat_kyoto2006/

この建物をフルに利用して、この土日にかけていろんなイベントが開催されていたようです。沖野くんとか東京の人気に比べて地元の引きはイマイチだろうに。とか思いつつ、こうしてスポット活用だとしても、この建物への注目が高まるような利用がされていることは素晴らしいと思いました。中を覗いてくる時間がなかったのが残念ですが。

協力に長谷ビルとありますが、ここは長谷ビルさんの物件なんでしょうか。だとしたら、いきなり壊して元の存在と何の関連もないマンションになるということは無いでしょうね。

追記:調べたら長谷ビルさんのサイトにこの建物の活用プロジェクトのページがありました。どのような文化的に意義ある活用をされるのか楽しみですね。
http://www.hase-building.co.jp/projects/tearaimizucho/index.html

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■旧・北國銀行京都支店 Tearaimizu-cho Place
■中京区烏丸通蛸薬師下ル手洗水町239
■大正5年 鉄筋コンクリート造2 辰野片岡建築事務所
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by radionova2 | 2006-10-22 15:12 | 公共行政
廃墟になる自由2 旧・堀川仏光寺郵便局
前エントリの続きです。こちらは廃墟というべきではないかもしれませんが、この建物のとなり、堀川通りに面して新しい郵便局の建物が出来てから長らく放置されていた旧局舎です。
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実際は倉庫などに使われていたのかもしれませんが、見た目は手入れもせず放ったらかし状態が続いていたので、この味のある建物はいずれは消えるのだろうと思っていました。

少し前に何か工事が始まる様子で、いよいよかなと気になっていたのですが…
実は、屋根の葺き替え工事だったようです。メンテナンスされて、この姿をとどめたまままま使うといことなのでしょうか。よかった。
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■下京区 旧・堀川仏光寺郵便局
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by radionova2 | 2006-10-15 22:18 | 公共行政
廃墟になる自由1 元・京都社会福祉協会
古い建物について、性急に開発か保存かという決着を付けずに放置しておくという選択肢もあるのではないかという話は、前のエントリで紹介した船場建築祭で印象に残る刺激的なテーマでした。

ここにも、廃墟というモラトリアムを与えられた近代建築があります。1936年(昭和11年)築の京都社会福祉協会です。

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ほぼ向かい側にあった春陽堂本社(1924年(大正13年)武田五一設計)が、マンション開発のためにあっという間に消えてしまったのを目にすると、丸太町通りに面したまとまった土地をこうして長らく放置しておけるのは、公共の持ち物だからこそではあるのですが、使われず放置されている姿も痛々しいのは確かです。

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これだけ枯れ果てた建物が再利用されるのかどうかはちょっとわかりませんが、こうやって物好きな人間が眺めることができるだけでも、何かの意義があるかもしれません。

■丸太町通智恵光院西入ル 元・京都社会福祉協会(内職補導センター本館)
■1936年(昭和11年) 鉄筋コンクリート造
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by radionova2 | 2006-10-15 21:37 | 教育福祉
船場建築祭

ずっと昔、中之島のダイビルに惚れてそこにある会社で働いていたことがあります。
近年、このダイビルをはじめ大阪の近代建築の再活用が(細々とした活動ながら)活性化しつつあるようでちょっとうれしいです。

そんなムーブメントのひとつ、大阪市立大学によるイベント、船場建築祭のシンポジウムに行ってきました。非常に示唆に富んだ内容だったので、忘れないうちにメモを残しておきます。

話のストーリーとしては…

街を歩いて「このビルかっこいい!」と気付く
 ↓
そういうビルに魅せられた人たちがショップをやったり、
イベントをやったり
 ↓
建物の魅力がどんどん伝わっていく
 ↓
そうすれば、ビルの関係者も下手なことがやりにくい。
建て替えるにしても、それなりの価値のあるものを
作ってくれるんじゃないだろうか。
 ↓
街も栄える。ウマー!
 ↓
以下繰り返し

ということを提案されていて(こんなに軽くないですよ)、最後の結論としては
「大事な建物は"使い倒して"街を変えよう」ということのようでした。


内容は、大大阪をめぐる資料や著作といえばこの方、大阪市立大学の橋爪紳也さんと、1920年代をテーマにした著作で著名な海野弘さんの対談。海野さんの大阪の近代建築をめぐる著作『モダンシティふたたび』からちょうど20年ということです。(この本は大阪産経新聞夕刊の連載企画だったそうです)

そして、都市計画が専門の東京大学助手中島直人さん、東北大学助教授の五十嵐太郎さん、ダイビルでさまざまな仕掛けをしておられるアートアンドクラフト代表の中谷ノボルさん、graf代表のデザイナー・アーティストの服部滋樹さん、『東京建築散歩』など、市民の目で建築とのかかわりをとらえるライターの矢部智子さんによるパネルディスカッション。船場建築祭で開催されているアートイベントの紹介など。

以下、気になった発言をまとめます。ちょっと意訳ありです。誰のお話だったか定かでないもの、間違っているものもあると思います。自分用メモ。


■モダニズム建築から読み取るものは郷愁ではない

海野先生の話から。
1920~30年代というのは世界が同時多発的に新しい方向に動きはじめた画期的な時代。パリの20年代、NYの20年代があるように、同じような新しい精神が東京の20年代、大阪の20年代にもあった。この時代、日本もヨーロッパやアメリカと同時に動き始めた。それを感じることができるのが当時の近代建築である。

例えば、ガスビルは、黒い甍の町家の家並の中に出現した、新しい時代へいざなう巨大な白い客船。当時の人々はどんなに驚いたか。そういう、とんでもないものを生み出した時代の精神、こころざしを読み取って、今の時代の新しい力にしていくということが、近代建築との関わりにおけるテーマのひとつ。


■都市の出現によって街との絆を発見する

大大阪という日本最大の都市が形成され、大通りが出来ることによってその裏通り、路地というものがもうひとつ見えてくる。都市の二重化。路地は古びて滅んでいくようで、そこにこそ、ベンヤミンのパッサージュ論的都市論が立ち上がる。路地には郷愁だけでなく、都市計画から抜け落ちた新しい発見がある。都市、建築、文学、風俗、さまざまなジャンルの枠を外した新しい都市論。

ベンヤミンの言う遊歩者(フラヌール)の出現。それこそ「心ブラ(心斎橋)」「平ブラ(平野町)」。盛り場をブラブラ歩くことで街との絆を作っていくこと。それこそが都市と人との関係。
現代の建築家は、都市と人々の絆をどのように作っていくかを考える必要がある。


■見ることは歩くこと。都市の中へ入っていくこと

見るという字は、目に足がついている(本来は膝をついてよく見るという象形)。街を歩いて、近代建築を見てみることこそ大事。座ってモニタを見ているだけではビジュアルカルチャーにはなりえない。都市の中に入って歩き回っていくことで発見するものがある。

橋爪さん>それぞれの絆を見つけ出す試み、そのひとつが今回のアートプロジェクトとか。


■「続・近代建築」の創造的再認識が必要

中島さんの話
景観という概念が登場したのが1935年都市美協会による「大東京建築祭」。「雄大荘厳な建物が三々五々あるからといって美しいのではない…」町並みという視点の提示。

北船場の近代建築は点在している。実は昔から点在していた。町並みというわけではない。
しかし、街角に多くあるため景観のポイントとなっている。今は周りを取り巻くものが調和していないのが課題。

今の大阪市街地域は、タワーマンション建築ブーム。それらと近代建築の間には大変なギャップがある。その間をつなぐものとは?実は船場地域には戦後~1970年代の建物が多い。しかし価値を認められずに入居率が低く消え去るものも。それら「続・近代建築」(村野藤吾の森田ビル、輸出繊維会館など)が近代建築の点在を埋める可能性がある。

船場の町並みの時間的空間的連続性は、すぐれた続・近代建築の創造的再認識によって保たれるのでは?

>中谷さん
戦後の国鉄建築もいい。戦争終わってすぐに駅を作ろうという意気込みがすごい。時代は違っても近代建築の精神と通じるものがある。


■リノベーションとは使い勝手を変えていくこと

中谷さんの話から。
ダイビルを使っているけれど、空調などの設備を入れ替えれば、古い建物だからといってマイナス面はそんなにないのでは?木製の窓枠とか、屋上とか、今のビルにはないものもある。手入れをして使っていけば、古いビルの余命を少しでも長らえることは可能。

リノベーション、コンバージョンとはハード(建築そのもの)を変える事ではなく、新しく使い勝手を変える事。80年前には考えられていなかった用途に転用しながら使っていくことこそが、建物の寿命を延ばすこと。


■使い続けることで事業主にプレッシャーをかける

そうして使っていくことで、ユーザーは古い建物が好きになるし、皆の視線を建築に向けることもできる。近代建築、続・近代建築、最近の建築、という具合に。それが、設計者や事業主にプレッシャーをかけることにもなるはず。いざ建て替えるという場合にも「あの建物の後にどんなものが建つのか」という期待に応えなけばならなくなる。


■不便であるがゆえにアイデアが生まれる

服部さんの話から。
多くの公共建築はハードとソフトのバランスが悪く、プログラムが成長しない。そのため、時間の経過と共に建物の利用価値がなくなっていく。つまり、そういう建築は機能のためだけに建物がある。だから使うだけで終わってしまう。

機能性の低い不便な建物からは、不便ゆえアイデアが生まれてくる。不便を楽しむことによって楽しい生活が生まれてくることもある。


■ごくふつうの人が気軽に使えること

矢部さんの話から。
普通の人に「あの建築はいいね」といってもわかってもらえないが、「あのカフェは居心地いい」とかいうと同意してもらえる。外から見るだけだったり、立ち入り禁止の場所があったりするより、普通の人が気軽に訪れることができて、実用品のように使える建築であればすばらしい。

>橋爪さん
たとえば「洋館がステキ」という気持ちは専門家が忘れている感性。つい学術的な目で見てしまい、建物の居心地のよさとか存在感とかに気付かないのは反省すべき。建物は使われるためにあるもの。古いビルがレストランなどとして使われることで、建物の価値だけでなく、そういう資産を抱えている街の価値も上がる。


■リノベーションはトップダウンでなくても進行できる

五十嵐さんの話から。
すでに建物の形があるリノベーションの場合、使用者が自分のスキルを持って進めていくことができる。特にアートなど。新築のように、必ずしも専門家やお上によるトップダウンで進める必要がない。

この敷居の低さによって、周囲をまきこみながらプロジェクトを進めることもできる。カタリスト(触媒)としてのリノベーション。


■建築は未来への伝達装置

なぜ古い建物を残すのか。新築ではできない無数の時間の痕跡がコラージュされている。そのなつかしいという気持ちがさらに人々をひきつける。そうして使われていくことでさらにその魅力は継続して蓄積していく。

建築技術は常に更新されるが、建築はその時点の技術の固有性が残っていく。建築とは、過去の反復ではなく、そのときの最先端であるべき。近代建築には、そのときに刻まれた未来が残されている。それを今見れることも重要。建築は未来への伝達装置。


■廃墟になる自由。ゆるく使うということ

オルセー美術館は、駅舎としての使命を終えてから、50年間使われない時期を経て美術館になった。古い建物について、開発か保存かという二元論で、使わないので更地にしてしまうというのではなしに、使わずそのまま放っておくという選択肢もありうるのではないか。廃墟になる自由。

また、1930年代のパリ万博の時のパビリオン、パレ・ド・トーキョーは、内装を剥がしただけで改装せず美術館として利用されている。それはそれで刺激的な空間。展示があるたび整えている。生きている廃墟。

大谷幸夫、空地の思想。ずっと先の使い道は分からない、初期の計画で全部決めるのではなく、空地のままにしておくという発想にも通じる。

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1920年代、世界同時最先端の痕跡である近代建築、そのありえないパワーを見て触れて理解して楽しめば、現在の街を作るパワーへとつながっていくのではないだろうか。そんな感じ。

個人的にとっても好きな60年代~70年台のモダニズム建築がこのように位置づけされているというのはちょっとうれしい。

追記:こちらのスタッフの方?のりみさんのブログには写真などもあわせて、会場の雰囲気などがよくわかるレポートをアップされています。トラックバックさせていただきました。
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by radionova2 | 2006-10-08 23:59 | Weblog
バブリーだったSACRA
三条通に並ぶ近代建築のうち、1988年にリノベーションされ、店舗活用の走りとなったSACRAビル(旧・不動貯蓄銀行京都支店)。

初期の頃は、エントランスもこんな感じでちょっとバブリーな高級路線でした。店舗は主にブティックやインテリアショップで、地下のバー以外に飲食店は入ってなかったんですね。今のほうが、親しみやすく、この建物の雰囲気を生かしたテナントが入っているように思います。
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古い写真発掘シリーズでした。

■中京区 SACRA (旧・不動貯蓄銀行京都支店)
■1916年 国登録有形文化財
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by radionova2 | 2006-09-14 00:29 | 店舗
御幸町教会借景
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知人の事務所で撮った10年以上昔の写真です。
1913年築ヴォーリズ設計の京都御幸町教会。近代建築に興味のある方ならもちろんご存知の物件なのですが、この名建築が窓の外に見えるなんてうらやましすぎますね。

このビルはすでに建て替えられているはずなんですが、今もこのあたりからこんな借景が見えるのでしょうか。機会があれば探ってみたいです。

■中京区 日本キリスト教団 京都御幸町教会
■1913年 重要文化財
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by radionova2 | 2006-09-13 10:20 | 宗教施設